2019年1月3日木曜日

瞑想についての言い訳 その必要性


自身と神に言い訳をしつつ瞑想の重要性を無視する人がいます。これは多くの点で個人的な不潔さだけでなく愚かで馬鹿ですが、危険でもあります。 

人が18歳になるまでに(場合により、早く始めるが出来る)人体は成長段階に有るのでは無く、最適な状態を維持するために日常的なメンテナンスとエンパワーメントを必要とします。この件は、魂に付いては1日目から始まります。これは物質の体に関係する。魂が早く萎縮する可能性があり、この萎縮は9歳前後から始まる。あるいは、生まれた時から萎縮した魂で始まる事もある。 

要するに、どうして身体に食べ物やシャワーなどを与えるのか?あなたが1ヶ月間食べない、1週間水を飲まないのを想像してみて下さい。どちらも人は死にかかる。 そのように自分の魂が関係している状況がある。


魂=(物質的に見えない、物質光のスペクトルの外に実際に存在する霊的な身体)



何ヶ月も遺跡に閉じ込められ飲み食い出来ない人々と同じように、魂と瞑想も違ったやり方で観察する事が出来ます。遺跡に閉じ込められた人々の肉体は昏睡状態になる、魂もそうなる。 




何故多くの人々が、瞑想による即時の効果を経験しないのか?
これは、魂が精力的な枯渇の衝撃を受けており、瞑想を始める時は既に瀕死の殻に等しいからです。魂は本質的に無視された状態にあります。食欲不振に苦しんでいる人や、体重を摂らない人、適切に食べ始めて医学的な助けをしても、一ヶ月以上食べていないのに、食べたくない人たちと同じく、瞑想を始める時も魂は同様の状況なのです。 

やり始めれば魂は早くからこの状態から出ますが、いくつかの遅い魂も間違いなく上がります。既に霊的に非常に進歩している人は、魂が半分しか動作していない中程度の状態で存在していれたかも知れませんが、瞑想をする事なく、この状態を持続、又は改善する事は決して出来ません。 飢えが長くなると崩壊するでしょう。 

良いニュースは、最初の魂のメッセージを得るのにそれほど時間が係らないなと言う事です。 



私は占星術で、魂を無視し、適切に働かなかったチャートを持ついくつかの人々で、それから逃げるのを見ました。この過程で彼らの過去のカルマも始まりは、彼らは瞑想を無視しそこから逃げる。これのいくつかのケースで見て来ました。 これは食べ物が提示された時に食欲不振が胃を閉鎖するのと同じ事です。 なので瞑想の必要性は食物、水、と同様に根本的な物に等しい。 

瞑想をしていないこのような罰則は、現時点で経験している大部分の人が、他の多くの問題を伴う状態であり、死んだ内部を感じるという事です。魂がなければ本質的に肉体のサイボーグで、風の中の葉のように歩いています。 

人間が持つ時間は非常に限られており、死や生活の状況に直面している多くの人々は、いわゆる「私は80歳代まで生きる」という事は単なる神話である事を知っています。
殆どの人は80歳代前にそれを作ってい無く、世界中の人の平均死亡率は65歳から67歳です。


そして、この時間までに悪い食事、ストレスなどで満ち足りた生活をしている多くの人々は、すでに彼らの魂の正気に、多くのダメージを与えて来ました。 その時までに瞑想したり、精神的にも物質的にも活動的で無い人は、かなり悪化しています。もし堕落の人生を送っているならば虚弱で消耗しているので終わりは早く来ます。 

なぜなら、その人を扱う総ての境遇が大幅に悪化したからです。 そして仕事は不可能になります。このように生涯に渡り繰り返されると、人は存在しない永続的な状態になる事があります。これは「死」と呼ばれます。

私たちは物質的に死んでも宇宙には存在しますが、その後もまた死ぬ事が出来ます。古代エジプト人と古代ギリシャ人はこれを「第二の死」と呼びました。これが最終的な物です。

しかし本当に遅すぎる事はありません。まあ、殆ど・・・決して遅すぎる事はありません。私は65歳以上から瞑想を始めた人と個人的な経験があり、1年間でかなりの進歩を遂げています。


彼は私に言った 「それは私の人生の最高の年だった」 



人は、物質的な「喜び」と快適さが関係して居る限り、そういう人生の地獄を持っています。 なのである意味では遅すぎる事は有りませんが、ポイントを取った後は次の生涯でも働きを持つ事が出来ます。




多くの人々は、特に西洋では何かの冗談として瞑想をします。1週間に1回瞑想したり、週に2回、または2週間に1回、猿のように周りを飛び回る "ヨガのピラティス"をして居るので、彼らはとても上手くやって居ると思ってる人もいる。これは毎週日曜日に数時間、教会に行く人と同様な偽善者であり、ユダヤ人を賞賛し何らかの精神的救済経験を得て居ると思っています。 

彼らは、これが本当では無いのは知って居ますが、彼らは生命のゲームをハックしようとするとハッピー丸薬を取って、彼らの問題を浮き彫りにして、彼らの責任を調整しながら彼らの方法をハック出来るようにしたい。この経路と人生の知覚は、生きて居るリスクと死をもたらす。 

惑星にいる誰もが、殆ど存在しない小さな責任から逃げようとする。これが加算され、最終的な結果は混沌とした、この惑星です。これは国を建設せず自己改善をしない人や、社会、そして、どこにでも居る社会の癌である人たちの場合です。これでは、寄生虫の蛾で満たされた混沌とした惑星を持っているだけ。生きている光の方に行くのは少数の人しか居ない。 




人々の主な言い訳は、瞑想する「時間」が無い、または「座って瞑想する」事が出来ない等です。これは単なる冗談です。彼らは座って瞑想する時間が無いが、彼らは薬を飲む時間があり、Youtubeで時間を無限に無駄にし、文字通り自分の天井を見るだけです。人生の日にちと時間は、無限に無駄になりました。 

個人的に私は週に50時間、さらには60時間近く働く。この時点で、私はゆっくりとした、まだ4~5時間の毎日の瞑想と、戦争と睡眠の為の必要な時間を持って、いくつかの占星術を行う事が出来ました。※これは日本の労働条件より良いな・・(汗)

時間を見つけたい場合は、見つける事が出来ます。しかし、これを取り除く為に何かが苦しんで居るかも知れません。 「苦しむ」とは、毎日1時間以上、あなたの存在に価値のある何かをする事に、あなたの存在の一部を無駄にするという商品を、「苦しめる」ことを意味します。 

30分以上眠れば、同じ時間を瞑想するのに比べて、大きくエネルギーを上げる事はありません。30分天井を見てるとブーストを与える事はない。ベッドで30分ほど前に瞑想するだけで、別のNetflixエピソードを見て楽しむ事は出来ません。 

しかし、上記の時間を組み合わせる事で、人生はあなたの為に状況を変えてしまいます。この時間の半分でも動作します。 新しい人の場合は瞑想は水を飲むか、シャワーを浴びるのと同じポイントの後で正規化され始めます。新しい事は総て、あなたのルーチンに統合されるまでに時間が必要です。 




最後に、人々は自分自身を非常に高く考えてはならず、他の存在に瞑想するように頼まなければならないと仮定してはいけません。 これはあなたの為です。あなたのエネルギーレベル、あなたの気分を高め、あなたの意識を開き、それが何よりも先の利点です。後になって、この慣行から社会的利益が得られ、さらに最先端の利己的な個人でさえも、この実践に入る為の無限のインセンティブがあります。 

1時間の瞑想は、明日の日の24時間の質の高い生活を加えると認識されなければなりません。

ポイントの後、瞑想の1時間は48時間を追加します。高レベルに達すると、1~2時間の瞑想は、あなたの寿命にとても高品質の日数を3~5日追加します。これらは文字通りではなく、単に個人的な見積もりです。今すぐ次の、365日間1日1時間を追加すると、年間360時間を稼ぐことが出来ます・・・活気のある人生の365日間。比類なき恩恵を得る為に、これは年間を通して精神的瞑想の15日間を合計します。 

あなたが公共交通機関で、どれくらいの時間を費やしたかを考えてみましょう。これはおそらく20倍以上になるでしょう。人生は、あらゆる面で浪費されている。 

毎日絶対に必要なものは、ハタヨガ、保護のオーラ、瞑想の清掃、あらゆる種類のエンパワーメントです。また、呼吸訓練やクンダリーニ・ヨガ、さらには無の瞑想を加える事も出来ます。つまり、問題を非常にシンプルにする必要がある。これは、あなたの一日中、積極的で、柔軟で、強力な物を保つ為に必要な基礎です。 

瞑想に付いての事は、それが神によって与えられて居る物であり、究極の目的は不滅に繋がる事です。最高指導者のヒンドゥー教ヨギは、ある時点で瞑想や練習をして居ない人と比べて、日々の練習が毎日100万年の線形時間で進化すると言います。 具体的に言えば、ヨガの教師や、瞑想を傷つけ、瞑想をしても80歳に達し、20代、30代の人間の生理学、80代の女性でも毎月のサークル。

たとえ上記の事がまったく寓意的で有ると仮定しても、あなたの心は普段の生活で魂を傷つける、平均的なユダヤ人のNPCのロボットと比べて、毎日の理解を超えて進化しています。 

それから・・最初にチョット、立ち往生する人が居ます。まあ、そこでは何も始まりません。私が比喩を言うなら、誰かが最初のレンガを持ってピラミッドを造りました。最初は愚かなように見えましたが、それは地面に座っているだけの煉瓦でした。レンガ造りのレンガは、世界の驚異を作った。 

レンガだけに集中している人は失望します。自分の精神的な力と魂を適切な順序で作り直し、より大きな目標に集中し続けるために毎日レンガを置いている事を自慢して下さい。瞑想の為のいくつかの日々は耐えられません(この中に敵もがあります)が、私たちは押し続ける必要があります。 



最終的な重要なメモとして瞑想し、ミスを犯し、ここでいくつかの瞑想を失い、ある日そこで失敗を経験する者がいます。 これを真っ直ぐに設定する唯一の方法は、これらの失敗にも関わらず、継続しする事です。これが正しい事です。このような理由から、瞑想は、時には戦争に等しいと考えられて居ます。心が跳ね上がり、誰かは脱線しようとする可能性があります。人生と一般的に同じです。列車を軌道に戻して再起動し、間違いから学び走り続けるだけです。

瞑想は「ミスを犯すのがいけない」のではない「完璧」で有る事では有りません。 

サタンと神々は私たちに知識を与える。



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