谷口智子氏の「新世界の悪魔」が分かりやすい。
冒頭一部抜粋します。
人類の宗教史は、他者を自己と正反対の極として意味化していく。
これは、一般的に行われてきた。
自己の宗教を絶対化し、他者の宗教を排他的に攻撃していく宗教の方向づけは、現在も依然として数々の弾圧・迫害や戦争を引き起こし、様々な混乱を生み出してきた。
近代の歴史は、西欧諸国による世界各地への布教と植民地政策、及び科学・ 技術の発達と資本主義の拡大によって展開されてきた。西欧の世界進出や世界支配は人類への福音と繁栄をもたらす「救済」としてイデオロギー的に肯定された。
その結果、西欧中心の「選民」思想による他の宗教、他の文明、他の人種への差別を文化的にも学問的にも新たに生み出してきた。
文化接触による創造的な局面を生み出しはしたが、多くの場合において他の宗教・文明・人種を疎外し抑圧し破壊してきた。そのような衝撃的な文化接触を通して、各地の宗教的・文化的伝統や宇宙観、世界観、人間観は危機にさらされてきたし、現在でも続いている。
本論文が取り上げる植民地ペルーの状況も例外ではない。植民地ペルーの歴 史は1535年のフランシスコ・ピサロ一行の上陸と続くインカ王の虐殺と、その王国(タワンティン・スーユ)の征服によって始まった。征服はスペインの植民地支配とローマ・カトリック教会の全世界への福音という使命感によって正当化された。
スペイン人との接触は先住民社会に衝撃を与えた。
先住民は、宗教や政治をはじめ、労働や交換、流通や税など、社会・経済のシステムに至るまですべて破壊され、征服者の植民地支配に従属させられた。
いわば先住民はそのオリエンタチオ(方向付け)を奪われたのである。
それは先住民に対する税の回収や統治、労働力の確保、カトリックへの改宗に都合のいいスペイン人の都市計画(集村化と改宗区の設立)によって推し進められた。
また、先住民宗教は「偶像崇拝」「魔術」「迷信」「悪魔崇拝」などのレッテルによって否定され弾圧・迫害された。
こうして、征服者であるスペイン人は、自らと、被征服者である先住民との関係に、支配者と被支配者という関係だけでなく、「優れた人種」と「劣った人種」、「文明」と「未開」、「真の宗教」と「偶像崇拝」といった優劣関係を強いた。
以上のようなレッテル付けは近代西欧のイデオロギーに基づいている。
近代西欧の学問体系もまたこ のイデオロギーの産物である。
それは植民地主義と密接に関わっている。
ユダヤ・キリスト教を中心として非・西欧世界を見る視点に立脚し、「超自然」と「自 然」、「啓示」と「自然」、「高次宗教」と「低次宗教」、「文明」と「野蛮」、「文 化」と「自然」などの対概念は、この視点に基づいた学術用語である。 非・西欧世界を正当に評価するには余りにも一方的で狭い視点に基づく多くの解釈や 概念、すなわち、「アニミズム」、「フェティシズム」、「マテリアリズム」、「自然 崇拝」などといった概念は、近代西欧が非西欧世界に押しつけてきたものである。
このように西欧近代の植民地主義は非・西欧世界の先住民宗教・文化・社会等を歴史的にも学問的にも破壊した。
しかしながら、各地の先住民がそのレッテルの押しつけや支配に対して何の反応もしなかったかといえばそうではない。
彼らは自らの生きられる世界を再び取り戻すために、植民地主義を批判し、応答してきたのである。
しかもその批判的応答の土台となったのは、伝統的価値に裏づけられた宗教・文化によってであった。
今日に至るまで、世界の各地で先住民の宗教を中心とした文化や社会の再統合、改革の試みが植民地主義を乗り越えようと創造的に行われてきている。
このような宗教運動は、衝撃的な文化接触によって危機にさらされた自らのルーツや宗教的伝統を取り戻し、再び人間としての尊厳をもって生きられる世界を創造する運動である。
それは、国家や支配者の宗教である「エリートの宗教」に対し、「民衆宗教」とも呼ばれている宗教の運動である。
本論文では 優越的立場から先住民を「偶像崇拝者」もしくは「悪魔崇拝者」とみなしてそう名付け、先住民宗教や文化の伝統 的価値を破壊し、そのオリエンタチオを破壊してきた近代初期のスペイン人と、 そう名付けられ弾圧・迫害されてきたアンデス先住民の間の対立・葛藤、及び、 その対立・葛藤から生まれた先住民の新しい宗教運動を、宗教学の学問的手続きにより考察するものである。
2.最初の接触
「偶像崇拝」「迷信」「魔術」は、ユダヤ・キリスト教の伝統において、「宗教」(キリスト教)という術語の対極に位置づけられてきた。
キリスト教は 自らを「真実の正しい神」への信仰として規定し、それ以外のものを「偶像崇拝」であると見なし、後者を「異教」「異端」と呼んで、拒否・排除してきたのである。
例えば、その具体的な事例として、征服者ピサロ一行とインカの神パチャカマックとの間の最初の接触についてのエピソードがある。
以下、このエピソードを見ていこう。
スペイン人がインカ王アタワルパの治めるこの国に上陸した当初、ピサロ一行は先住民の神パチャカマックを「悪魔」「偶像」と見なした。
そして、リマ近郊にあるその神殿は、スペイン人から「悪魔」「偶像」の神殿と呼ばれ、破壊された。
パチャカマックは先住民にとって人間を創り世界を支える「世界の創造神」であった。
それは次のように両義的な神であるとされた。
一方では人間を含む あらゆる動植物、さらにはそれらを包み込む宇宙全体の成長を見守り、その病を治し、混乱を正す神であるとされたが、他方では病や地震、洪水などの災害を起こす畏るべき神であるとされた。
征服当初のスペイン人記録者ミゲル・デ・ エステテによれば、この神についてある先住民は「世界中のすべてのものが彼の手に横たわっている」と語っているとのことである。
けれどもスペイン人は、パチャカマックが、古い単純な形の大洞窟であることを見いだして、これを軽蔑した。
「偶像がなんと貧弱で、劣悪であったことか」と、遠征隊のメンバーは強調する。
曰く「これまで極めて少数の選ばれた人々し か中に入れなかったその大洞窟は、多くの人々の面前で暴かれ、壊された。 そしてインディオが我々の破壊の行為を見て、彼ら自身がこれまでパチャカマックにいかに騙されていたかを認識した。
その時、彼らは明らかに喜んでいるようだった。
それで、我々は極めて厳粛に、悪魔の住処の上に大きな十字架を立 てたのである」と。
ピサロと彼の従者たちはその聖域の単純性ゆえに、パチャカマックとその神官たちを「悪魔」及び「悪魔に仕える者」と見なした。
パチャカマックの巨大 なピラミッドの頂点には大きな洞窟があった。
先住民の神官にとって、そこは神が顕現し、神託を受ける聖なる場所であったが、スペイン人にとっては単なる素朴な洞穴、「自然」あるいは「物質」に過ぎなかったのである。
この接触によって明らかにされたのは、両者の異なる解釈の対立・葛藤である。
いいかえれば、「自然」の聖性を認める見方と認めない見方の間の 対立・葛藤である。
我々はここで、「自然」に対して込められた意味を、征服者と被征服者の両方の立場から考察しなければならない。
「自然」はスペイン人征服者にとって単なる「物質」として受け取られた。
しかし先住民はパチャカマック神そのものの顕れである素朴で自然のままの 「洞穴」を、スペイン人のように単なる「物質」や「自然」と捉えるのではなく、超越そのものが顕在化する「聖なるもの」と捉えていたことが理解できる。
アンデス先住民は聖なる場所、聖なるものを顕す「ワカ」と呼んでいたからだ。
つまりワカは、宗教学の視点から解釈するならば、俗なるもののうちに聖なるものが顕現する「ヒエロファニー」であり、(そこから世界が創造される) 「聖なる中心」であった。
しかしながらスペイン人はパチャカマックの洞窟を俗なるものと見なし、その崇拝を「偶像崇拝」「悪魔崇拝」と見なしたのである。
このように同一の対象に対して、聖なるものの顕れを体験する人もいればそうでない人もいる。
本論文における先住民とスペイン人との違いはそういうところにある。
この違いは何に起因するのだろうか。 彼らの宗教的あり方の差がこの違いの原因であると考えるならば、それぞれの宗教はどのような形態を持つものなのかが問われなければならない。
第二節 宗教学の課題と方法
1.先行研究批判
従来より、キリスト教の他宗教に対するレッテル付け、すなわち、自らの概念の一方的な「押しつけ」に対し、それを批判的に考察する研究が人文諸科学の領域で盛んに行われている。
これらは言述批判の研究として優れている。
しかし、キリスト教の宣教や、その背景にある宗教のあり方に含まれる独自の意味世界を理解するのに不充分である。
というのは、宗教学から見れば、「押しつけ」そのものも、一つの宗教的エートスに基づいた宗教現象であり、またそのあり方は「押しつけ」られる立場とは明確に異なった宗教現象の形態をもち、単なる言述の問題に終わるものではないからである。
同様に、「偶像崇拝」「迷信」「魔術」「悪魔崇拝」と見な されてきたものが本当は何を意味しているのかを考察することはもっと重要であるからである。
>8「偶像崇拝 idolatría」という概念の淵源は古代イスラエルの一神教、ユダヤ教にある。ユダヤ教は、古代の異教を否定することで確立された。
モーゼの『十戒』における第一、第二の戒めは、ユダヤ・キリスト教の伝統における「偶像崇拝」の他宗教迫害の基盤となる。
「偶像崇拝」は、古代ユダヤ教において、唯一で真の神ヤハウェの像をつくり、崇拝することと、異教の誤った神々を崇拝することの二つの側面において問題なった。
それは、創造神である神以外のもの(例えば被造物)を神として崇拝すること、そして、超越的な神をイメージ化、物質化することを意味している。
『宗教 百科事典(Encyclopedia of Religion)』において「偶像崇拝」の項目を執筆したジュリ アン・リースによれば、偶像崇拝の第一の問題は唯一にして絶対的な一者、創造神で ある神に対抗して存在する偽の多数の代替物、もしくはイメージの物質化、被造物崇拝であるという。